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2006年11月21日 (火)

カップヌードルみそ

 今までありそうでなかったカップヌードルみそ。
 ラーメンマニアの端くれとして食べてみたが、何かが変であった。

 結論から言ってしまえば、相性がよくない。
 持論としては、味噌ラーメンは味が誤魔化せるから外れというものがほとんどない。しかし、カップヌードルみそにはそれが当てはまらない。
 おそらくラーメンとカップヌードルは別物、カップヌードルはカップヌードルというラーメンとは違う次元で成立した料理なのではないだろうか。
 だから、味噌ラーメンではなくカップヌードルみそなのである。味噌ラーメンの一種と思って食べたから違和感があったのだろう。
 物心ついた頃からカップヌードルを当たり前のように食べていたが、みそを食べることで初めてその特異性に気付かされた。

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2006年11月19日 (日)

愚説「怪獣使いと少年」

 ウルトラマンメビウス第32話「怪獣使いの遺産」、まだ見ていないが何か違和感がありそうな作品である。

 そもそも、「怪獣使いと少年」というエピソード自体が過大評価されているといえないだろうか。先日のニュース23の特集でも学校で「怪獣使いと少年」を見せて感想を書かしている教師もいたが、それでいいのか?
 たしかに、「怪獣使いと少年」は差別などをテーマに盛り込んだシリーズ最大の問題作ではあると思うが、決して最高傑作と呼べる作品ではない。
 少なくとも、中高生ぐらいのと特撮ファンが「いつまでも特撮番組を見て…」とバカにされた時に心の支え(?)になるのが「怪獣使いと少年」である。「こういうエピソードがある限り、そこらのドラマよりも特撮の方が素晴らしい」と。
 しかし、バカにされなくなっても金科玉条の如く「怪獣使いと少年」を絶賛するのは痛々しい。

 最近気付いたのだが、何故タイトルは「“怪獣使い”と少年」なんだろうか。
 メイツ星人は地球で暴れていたムルチを念力で地中に封じていただけである。それだけで“怪獣使い”と呼べるだろうか。ライオンを檻に入れるだけの猛獣使いはいないだろう。
 被差別者の象徴のように劇中で描かれているメイツ星人だが、このタイトルを見る限りは単純にそう言い切れない。別に「宇宙人と少年」でもよかった訳だし。
 ここからは推測だが、メイツ星人は地球侵略のための工作員(調査員)だったのではないだろうか。ところが、送り込まれた地球は自らを蝕むほどの公害で汚染されている。そんな星に自分を送り込んだ者を憎み、地球侵略をする気も失せてしまったのではないだろうか。
 
 何はともあれ、「怪獣使いと少年」には良いにしろ悪いにしろ考える要素がこれでもかと盛り込まれていた。それだけ濃い作品であった。
 果たして、その続編を名乗る「怪獣使いの遺産」にどれほどの濃さがあるだろうか…。

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2006年11月 6日 (月)

「信長の棺」の棺

 日米野球をつけたままにしていたのでその流れで見てしまった「信長の棺」。
 原作を読んだことはないが、少なくともドラマを見る限りはこれは歴史物でもミステリーでもなくプロパガンダであった。

 この「信長の棺」を有名にしたのは小泉純一郎前総理である。
 ところで、気になるのは劇中における信長の後継者たる羽柴秀吉のあまりの悪役振りである。今までにない秀吉像と言ってしまえば斬新かもしれないが、新鬼武者に出てきたような最初から悪役として設定したとしか考えられないようなレベルの改悪である。
 このドラマでは、秀吉だけを悪役にするために本能寺の変への秀吉以外の関与をごまかしている節がある。何故、明智光秀と近衛前久が密会をするのに家康の御用商人茶屋四郎次郎の別邸を使ったのか? しかも、一足先に本能寺の変が起こることを知った家康がとった行動は逃亡である。ミステリー小説であれば、家康も完全な共犯である。
 それから、秀吉の業績はすべて山の民の力添えがあったからとでも言わんばかりに秀吉の業績を過小評価している傾向もある。あの偏屈な山の民が秀吉に協力したというだけでも秀吉にそれこそ人たらしの力があったのではないかと思うんだが…(この辺りの関係は原作で描かれてるらしいが…)。
 あたかも、独裁的と言われた政治手腕から信長に例えられた誰かの後継者を意識してのことではないだろうか? 

 もう一つ気になったことがある。
 主人公が「信長公記」を完成させるシーンである。秀吉の命令で何故か信長の幼少に関する記述をしてはならないと命令されるのだが、その理由がよく分からない。普通のドラマであれば、信長の幼少に本能寺の変の謎を解く鍵があり、それを秀吉が隠そうとしたからというのが真相なのだろうが、ドラマではそれに関する説明が一切無しである。
 しかも、主人公は秀吉に屈することなく信長の幼少を記した首巻を「信長公記」の一巻に加えることに成功するのだが、それだけである。これも普通のドラマなら自慢しようと秀吉が家康に信長公記を見せて首巻の存在を秀吉が知るシーンが出るのだが、そんなシーンも一切なし。
 まるで、権力者に弾圧されたジャーナリストが筆で権力者に戦いを挑んだとでも言いたいのだろうか? まさかとは思うが、本当にまさかとは思うが、ジャーナリスト宣言がテーマとでも言うのではないだろうか?
 それにしてはやってることのレベルがネットに匿名で悪口を書き並べて自己満足している程度である。ジャーナリスト宣言も0円が流行してるのだろうか?

 「信長の棺」とは、一見すると劣化ダ・ヴィンチ・コードとも言える三文ドラマの裏に、現政権批判と自己満足的なジャーナリズム精神賛美を盛り込む構造をしたドラマだったのである。
 ハッキリ言ってしまえば、信長の遺体の在処を考えるよりも、この構造の方が謎解きとしては面白い(笑)。

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2006年11月 5日 (日)

ファイナルファンタジーであるということ

 DS版FFⅢをクリアした。こんなに短いものだったかという呆気ない気がしなくもなかった。
 しかし、思い起こせば、久しぶりFFらしいFFをやった気がする。

 FFがFFらしくなくなったのはいつのことだっただろうか。クリスタルを廃したⅥだっただろうか、PSに移ったⅦだっただろうか、それともⅧ、原点回帰を歌ったはずのⅨ…。少なくともクリスタルがクリスタルでなくなっていたⅨではファイナルファンタジーではなくなっていたというのが、個人的な見解である。
 FFシリーズの象徴ともいえるクリスタルとは一体なんだったのだろうか?
 勝手な推測だが、クリスタルはゲームの中の存在ではなく製作者の中にあったモノではないだろうか。
 単刀直入に言ってしまえば、それはドラクエこと、ドラゴンクエストである。

 FFが「ドラクエのようなゲームを作りたい」という想いから作られたというのは有名な話である。
 つまり、FF世界の根幹を成すクリスタルという存在は、目標として設定されたドラクエの象徴であってもおかしくない話ではないだろうか。その証拠になるのかは分からないが、FFⅢやFFⅤではクリスタルがジョブチェンジをするために必要な存在として描かれていた。転職システムはドラクエのものという先入観がそうさしていたのではないだろうか。

 FFがクリスタルを捨てたとき、それはFFがドラクエと肩を並べるシリーズとして世間に認識された時期ではないだろうか。おそらく同時期に「ファイファン」と呼ばれていた略称が「エフエフ」で統一されている。
 しかし、それは同時にそれまでFFという世界を支えていたモノを失うことでもあった。
 クリスタルを廃して以降のFFの変遷は説明するまでもないだろう。ファンタジーからSF的な世界へと進化し、ゲームよりも映画的な演出を追及し、果ては本当に映画を作るまでになってしまった。
 PSでFFがⅦ、Ⅷを出している頃、SFCで出したⅥを最後にドラクエは沈黙したままであった。
 PSという場所にもはやFFが世界の根幹とするべきドラクエは存在していなかった。原点回帰を謳い、クリスタルを復活させたはずのⅨの世界にクリスタルの輝きが戻ることは無かったのは当然である。そこに宿るべきクリスタルはⅨ発売の1ヶ月後に世に出たのである。

 FFの魅力は、ドラクエにないものがそこにあったからである。横向きの戦闘画面、4ケタのダメージ、魔法のエフェクト、飛空艇のスピード…etc。
 しかし、何年か前にWS版のFFⅠ、Ⅱのリメイク版をプレイした時、それほどまでに魅力を感じることが無かった。もっとも、FFがⅢからでⅠ、Ⅱを初体験だったからかもしれないが、ドラクエⅠ・Ⅱをプレイした時に感じたような温故知新的な楽しさを感じることはできなかった。
 むしろ、感じたのは失望感である。アイテム等に見られる全く練り込まれていない世界観、物語の偶数系といわれたはずがスターウォーズをなぞったようなだけの物語。
 結局、ドラクエが無ければ、FFは輝くことができないのだろうか? 否、少なくともDS版のFFⅢのクリスタルは輝いていたと思う。

 DS版FFⅢに輝きを取り戻させたものは何だったのだろうか? FFⅢがライバル視するようなドラクエは今のところDSにはない。
 そう、DS版FFⅢはFFでなくなってしまった今のFFのアンチテーゼとして存在することでクリスタルの輝きを取り戻したのである。
 だが、おそらくこれもFFが見せた最後の輝きということになるだろう。最新作であるⅩⅢも“従来通りの”FFである。
 FFにはこれをクリスタルの輝きに変える世界を用意することができない。まして、本来クリスタルの輝きにしていたドラクエも今ではその内側に存在している(むしろFFが取り込まれたというべきか)。

 DS版ファイナルファンタジーⅢ、それは一つの物語の完結なのかもしれない、クリスタルの輝きを受け継ぐ光の戦士が現れない限り…。

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