« ファイナルファンタジーであるということ | トップページ | 愚説「怪獣使いと少年」 »

2006年11月 6日 (月)

「信長の棺」の棺

 日米野球をつけたままにしていたのでその流れで見てしまった「信長の棺」。
 原作を読んだことはないが、少なくともドラマを見る限りはこれは歴史物でもミステリーでもなくプロパガンダであった。

 この「信長の棺」を有名にしたのは小泉純一郎前総理である。
 ところで、気になるのは劇中における信長の後継者たる羽柴秀吉のあまりの悪役振りである。今までにない秀吉像と言ってしまえば斬新かもしれないが、新鬼武者に出てきたような最初から悪役として設定したとしか考えられないようなレベルの改悪である。
 このドラマでは、秀吉だけを悪役にするために本能寺の変への秀吉以外の関与をごまかしている節がある。何故、明智光秀と近衛前久が密会をするのに家康の御用商人茶屋四郎次郎の別邸を使ったのか? しかも、一足先に本能寺の変が起こることを知った家康がとった行動は逃亡である。ミステリー小説であれば、家康も完全な共犯である。
 それから、秀吉の業績はすべて山の民の力添えがあったからとでも言わんばかりに秀吉の業績を過小評価している傾向もある。あの偏屈な山の民が秀吉に協力したというだけでも秀吉にそれこそ人たらしの力があったのではないかと思うんだが…(この辺りの関係は原作で描かれてるらしいが…)。
 あたかも、独裁的と言われた政治手腕から信長に例えられた誰かの後継者を意識してのことではないだろうか? 

 もう一つ気になったことがある。
 主人公が「信長公記」を完成させるシーンである。秀吉の命令で何故か信長の幼少に関する記述をしてはならないと命令されるのだが、その理由がよく分からない。普通のドラマであれば、信長の幼少に本能寺の変の謎を解く鍵があり、それを秀吉が隠そうとしたからというのが真相なのだろうが、ドラマではそれに関する説明が一切無しである。
 しかも、主人公は秀吉に屈することなく信長の幼少を記した首巻を「信長公記」の一巻に加えることに成功するのだが、それだけである。これも普通のドラマなら自慢しようと秀吉が家康に信長公記を見せて首巻の存在を秀吉が知るシーンが出るのだが、そんなシーンも一切なし。
 まるで、権力者に弾圧されたジャーナリストが筆で権力者に戦いを挑んだとでも言いたいのだろうか? まさかとは思うが、本当にまさかとは思うが、ジャーナリスト宣言がテーマとでも言うのではないだろうか?
 それにしてはやってることのレベルがネットに匿名で悪口を書き並べて自己満足している程度である。ジャーナリスト宣言も0円が流行してるのだろうか?

 「信長の棺」とは、一見すると劣化ダ・ヴィンチ・コードとも言える三文ドラマの裏に、現政権批判と自己満足的なジャーナリズム精神賛美を盛り込む構造をしたドラマだったのである。
 ハッキリ言ってしまえば、信長の遺体の在処を考えるよりも、この構造の方が謎解きとしては面白い(笑)。

|

« ファイナルファンタジーであるということ | トップページ | 愚説「怪獣使いと少年」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/190936/12584909

この記事へのトラックバック一覧です: 「信長の棺」の棺:

« ファイナルファンタジーであるということ | トップページ | 愚説「怪獣使いと少年」 »