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2008年7月23日 (水)

遙か、茜色の水面に浮かぶ月

 という訳で、ついこの間もPS2版をクリアした気がするDS版ドラクエⅤを始める。

 実感したことはないが、サンタローズの町は少年時代と青年時代でマップの大きさが違っていて、子供の頃は遠かった距離が大人になると近く感じるというのを再現しようとしてたらしいが、十字キー(押しっぱなし)しか動かさないんだからゲームでそんなものが体感できるわけがない。
 それよりも真に恐ろしいのは、いくらゲーム中の移動速度やテンポが速くなってるとはいえ、ほんの半日ほどで、ドラクエ史上最大の選択肢を迫られるところにたどり着いたことである。思えば、Ⅳのときも2時間足らずで1章が終わった瞬間、何とも言えない戦慄を感じたものである。
 そりゃ、子供の頃は1日中ゲームをさせてもらえなかったとか色々あるけど、例のイベントにたどり着くまでは2、3週間ぐらいはかかっていたのではないだろうか?

 で、性懲りもなくDS版Ⅴを買ったのは第3の選択肢を選ぶためである。
 ドラクエⅤでビアンカとフローラのどちらを選ぶか(とキラーパンサーの名前)はゲームファンなら一晩語り明かせる格好のネタである。そして、そこから「君が望む永遠」なんて稀代の鬱ゲーが生まれたわけである(何かのCDのブックレットに結婚イベントを参考にしたと書いてあったはず)。
 ゲームをプレイしてないので君望とドラクエを純粋に比較することはできないが、他のギャルゲー(鍵)と比べてみてもドラクエのそれは重い。
 何故なら、他のギャルゲーはやり直しが割りと簡単だからである。というよりも、全キャラ・全ルートをプレイすることが前提で作られているのがギャルゲーである。対して、ドラクエの場合、結婚相手を決める前にセーブはできるが、そこから他のキャラを選んでやり直すには根気がいるし、ギャルゲーのようにEDが劇的に変わってくるわけでもない。まして、ED後にやり込もうと思うとやり直す時間が惜しい(特に鍛え甲斐のある×××ー×を仲間にして育てようと思ったら)。
 現実問題、1度選んだらゲーム中と同じようにそれが最後なのである。

 まぁ、そんなこんなで第3の選択肢デボラを選んだわけだが、ビアンカでもフローラでもない第3の選択肢を作ったら、こうなってしまったという感じのキャラというのがなんとも…(ビアンカ、フローラに限らず、過去のドラクエのどのキャラでもないといった方が正しいか)。戦闘能力はビアンカにもフローラにもましてデボラにも期待してないからどうでもいい、ヘルバトラーの方が遥かに強いから(仲間にできるのはEDの後になるだろうけど)。

 どうでもいいが、ドラクエⅤで1番魅力的なのはスライムナイトである(初登場はⅤ)。
 スライムの愛らしさとナイトの猛々しさを併せ持つ何とも言えないあの姿…(そして、終盤まで使える能力)。
 ただ、気になるのは、ガイドブック等を読んでると、ナイトの部分もスライムの一部が変化したものだということになっていること。さすがにそれでは気持ち悪かったのか、以後の作品では、スライムに跨った魔族の騎士という設定になっていたが。

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2008年7月13日 (日)

でも、やっぱりF5が好き

 文化放送A&GゾーンのCMを聞いてると、最近話題のマクロスFのランカ役の中島愛さんはアメプロが大好きで、好きな技はシャープシューターなのだそうだ。
 今までチェックをしてなかったことを物凄く謝罪しておきたい。機会があれば、シェイン・マクマホンのように20mの鉄塔の上からダイビングエルボーをしてお詫びしたいぐらいである。
 とりあえず、レッスルマニア24のDVDの前に4月から溜め込んでいたマクロスFを今週分まで一気に見たので、それを以って反省の意を示したい。

 人間というのは悲しい生き物である。自分と何らかの共通点があると親近感を持たずにはいられない。同じ広島出身ということであの野球選手とフリーアナウンサーも盛り上がったんじゃないのではないかと思う。

 しかし、昨今、この親近感を利用しようとする人間が多く見られる。
 そりゃ、「××が好き」と言っておけば、××ファンが勝手に応援してくれるようになるなら安いものだろう。「ローゼンメイデン」が写真に写ってただけでネットでは大盛り上がりである。ところが、マンガ大好きと公言してるその政治家は、自分をネタにしている「さよなら絶望先生」に対して、何らコメントを出したことがない。まぁ、政策通だの経済通だの言われてても、あまり大したことないのが昨今の政治家だから、政治家の中のマンガ通ってのもその程度でしかないのだろう。いい加減、ローゼン仲間のホリエモンが逮捕された時に誰も味方してくれなかったのを思い出すべきだろう。

 そう、このご時世、そういう便乗野郎を見抜く力を持たなければならないのである、小学校の先生が読んでもない本で書かれた読書感想文を見抜くように。
 冒頭の中島さんは問題ないだろう。アメプロ好きといった所で、そんなにファンは増えないだろうし。まぁ、シャープシューターが好きってのは渋いと思うけど。

 ちなみに、自分が1番好きなのは、今はいない(死んだわけじゃない)ブロック・レスナーのF5である。
 

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2008年7月 8日 (火)

アリソンとハルヒ

 昔、漠然と本屋で本を買おうと思ってラノベコーナーに来た時に、「そうだ、『涼宮ハルヒの憂鬱』ってのがアニメになるらしいから、今の内に原作を読んでおこうか」と思ってハルヒを買おうとしたら、あいにくその本屋では最初の憂鬱が売り切れていた。とりあえず、暇つぶし用に何か本をと思ってたので「キノの旅」と同じ作者だからという理由でその時は、「アリソン」を買った。

 そして、数年、その「アリソン」がアニメになって放送されているわけだが、先にシリーズを読破したのは何故かその時買わなかった涼宮ハルヒシリーズの方であった。ハルヒの1話を見たときに「これは急いで原作を読まないといけない」と思って全巻一気に買い揃えて、その勢いで読みきってしまったのだ。
 「アリソン」も決して面白くないわけではにのだが、ハルヒのような強迫観念というのは大げさだが、急がされるような何かはなかった。

 しかし、自分だけかもしれないが、ラノベ原作のアニメの場合、先にアニメを見てしまうと、余程のことがない限り原作小説を後から読もうという気にはなれない。例えば、「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」とか(釘宮ばっか)、面白かったけど、原作を読もうという気に何故かなれない(冊数が出てて時間やお金がかかるというのが大きいと思うが)。

 どうでもいいが、角川書店の夏の100冊に去年に引き続き「涼宮ハルヒの憂鬱」が選ばれていた。
 お難そうな表紙が並ぶ中、ポーズを決めるSOS団団長の姿は異様である。これが閉鎖空間というヤツなのだろうか? っていうか、これをきっかけにハルヒを読むのってどんな人なんだろう?

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2008年7月 7日 (月)

兵どもが夢の跡

 唐突ではあるが、SNKの格闘ゲームが大好きである、下手の横好きではあるが。
 だから、「KOF’98 ULTIMATE MATCH」を買ったのだが、何と言うか、切ないゲームである。
 ハッキリ言って、KOFはキャラゲーである。草薙京と八神庵だけで腐女子なら3年はご飯が食べれるのではないだろうか? あのでじこだっていおりんが大好きだったわけだし。
 KOFが最初に出た94年はどんな年だったかといえば、カプコンはストⅡの最終作ⅡXを出し、「餓狼伝説SP」や「サムライスピリッツ」が盛り上がっていた格闘ゲーム全盛期である。そして、その格闘ゲームの攻略情報を支えていたのは誤植で有名なゲーメストである。

 攻略本を読むのが大好きな人間なのでSNK格闘ゲーム関係のゲーメストのムックは大体揃えている。ないのは攻略情報の載ってない96のファンブックと倒産のゴタゴタで入手しそびれた99ぐらいである。そう、並べたKOFのムックだけでまずは新声社の盛衰が見えてくる。
 それまでのゲーメスト増刊号という形からゲーメストムックという形で出されるようになった94(Vol.2が94でVol.1はスパⅡX)。キャラ紹介と技表を先行して出し、攻略情報やデータ、ファンコーナーを後から出した95。先程も少し触れたが、さらにファンコーナーを独立させた96。95と同じ2冊に戻ったものの、2冊目の厚さは半分ぐらいになった97。1冊目が出ただけで終わった98。倒産直前に出した99。そして、アルカディアムックとして生まれ変わった2000以降…。

 親亀こけたら皆こけたとは言うが、格闘ゲームの世界では子亀の方が先にこけていた。
 ライバルのカプコンはバイオハザードシリーズなどで家庭用ゲームでも安定した人気を誇ったのに対し、SNKは格ゲーブームの終焉とともに倒産してしまった(まぁ、なんか色々あったみたいだけど)。
 そして、KOFシリーズには世相といっては大げさだが、そういうものが反映されている。
 エヴァブームの直撃を受けた96では、MAX版の八稚女で庵は暴走初号機と化し、翌97では隠しキャラで完全な暴走初号機と化したツキノヨルニオロチノチニクルフイオリが登場した。また、墓の中にNEOGEO-CDZを持っていくと公言した和月さんの「るろ剣」の志々雄真実が唐突に庵笑いを始めたりと、多作品に影響を与えるまでになっていた。
 SNK倒産後、韓国系の企業が中心となって作られた2001では、バランス面の劣悪ぶりだけでなく、K9999というパロディで済むレベルではないキャラが登場した。多分、著作権問題を考える上で、韓国はアレがパロディで済むと認識されているのだと考えると興味深い事例ではなかろうか?

 で、今回の98UM。
 多分、10年前に出てれば、最高に思えたと思う。ギースが好きなんでボスチーム復活(烈風拳の飛ぶ裏ギース追加も含めて)や、ゲーニッツ、オロチの追加は当時としては文句ない内容だっただろう。
 しかし、今年は2008年である。どうして、98のリメイクとして出したんだろうか? 巷では、追加されたクラウザーが以上に強くてバランスがいい傑作と評価の高かった98に泥を塗ったという声も聞く。

 「あの頃は良かった」という後ろ向きなノスタルジーが「KOF’98UM」からは醸し出されているような気がしてならない。

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2008年7月 2日 (水)

本能寺への道

 織田裕二が山本高広さんのモノマネを面白くないと切り捨てたらしい(敬称が変なのはワザと)。
 この何気ない言葉が織田裕二の俳優としての寿命を大幅に縮めたと言っても過言ではないだろう。

 そりゃ、モノマネされて気分が悪くなることもあるだろうが、公然と言うものでもないだろ。モノマネという芸がある程度認知されているご時世、心の狭い人間だと思われるとは考えなかったのだろうか?
 それに世界陸上の織田裕二のモノマネなら関根勤さんがやっていた時はなんとも思わなかったのだろうか? 自分よりの格下の相手には文句が言えるという小物ぶりが伺える。
 あと山本高広さんが自分の真似だけをしてるという自意識過剰も最高だ。別にテレビで見なくても少しぐらい調べれば他にもレパートリーがあることぐらい分かると思うが。
 要するに、最初から相手にしてなかったということなのだろうけど。

 悪いが、織田裕二は自分が思ってるほどの俳優だとは思われていないことに気付いてないのではないだろうか? 仮に、「織田裕二といえば何?」というアンケートをした場合、青島と世界陸上以外に何が挙がるというのだ(「WHITE OUT」なんて誰が覚えてるだろうか? タイトル覚えてるけど、織田裕二の役名覚えてないし)。
 勘違い大物俳優という表現が正しいだろうか? 一度、裸の王様という童話を読み直した方がいいのではないだろうか。

 かつて、長州力さんが小力さんのブレイクをキッカケにバラエティ番組にも出演するようになったように、山本さんのブレイクも何かのキッカケにすべきだったのではないだろうか。
 どこぞのエロ男爵がエロ男爵になることで演技の幅を広げたように、バラエティ番組などで違う自分の一面を発見して、「何をやっても青島」という自分の演技を変えるキッカケが掴めたかも知れない。
 井沢元彦さんは「幸運の女神は嫉妬深い」と表現していたが、こういうチャンスをモノにできなかった人間はもう滅びるしかないということだ。例えば、本能寺の変の直後、主君の死を自らの幸運と考えた秀吉は天下を取ったが、そう考えなかった柴田勝家や滝川一益はどうなったか…。

 散々大口を叩いたドラマの視聴率が楽しみである。

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