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2008年11月30日 (日)

純粋検定批判

 一週間ほど前に「全国総合アニメ文化知識検定」(通称アニメ検定)というものが開催されたそうである。
 ハッキリ言って、興味ない。その前は「ウルトラマン検定」なんてものも開催されたそうだが、検定料を払う金があれば、ギガキマイラのソフビ人形でも買う(っていうか、買ったし)。
 そもそも、アニメ検定○級を持ってたとして何かいいことでもあるのだろうか? 例えば、アニメのDVDに急に応じて何%かの割引が適応されるとかになれば、快く受験させてもらっていただろう。そのぐらいの特典もない検定に何の意味があるのだろうか?
 ハッキリ言って、世間の認識はアニメを見てる=アニメマニア=オタクと極めて単純明瞭な判別方法でオタクを区別してくれている。オタク内部でその定義を巡って激しい闘争があったとしても、全部ひっくるめてオタク。どこぞの容疑者Xさんは四色問題の既存の証明を美しくないと切り捨てて美しい証明を試みていたが、定義は簡潔であるべきなのだろう。アニメを見ればオタク、検定料も試験問題も必要ない。適当に放送されてるアニメを見れば、終わるのだ。

 とにかく、この手の趣味に対する検定は嫌いなのである。簡単に言ってしまえば、怖いのである。
 例えば、アニメ検定3級を受けて不合格になったとしよう。これは、自分にとって今までの人生を否定されることに等しい。紅白に出れなかったどこかのエセオタの心に空いた穴どころではない。
 そもそも、4択問題60問で何が量れるというのか? 卒業論文でオタクを研究する時に、ある程度はオタクの定義も考えようと思い、「道を歩いている人間に金を渡して歴代戦隊ヒーローの名前を覚えさせたとして、戦隊ヒーローの名前を知ってるから、この人はオタクだと言えるか?」という例(難癖)を挙げて、「知識は必ずしもオタクを定義づけるものではない」と書いた。
 アニメ検定では、事前に参考書なんてものが出てた。仮にアニメ検定がその参考書を勉強するだけで取れるものだとしたら、アニメ検定○級なのに「勇者王誕生!」が歌えないバカだって出てくるかもしれない。
 何年か前にも分数のできない大学生なんてのが話題になっていたのだから、どこの世界でも似たようなことは起きるのだろう? 案外、これが世界の歪みの正体ではないだろうか(笑)。

 どうでもいいが、高校の頃、「口を開けばオタクと分かるから黙っておいた方がいい」とよく言われた。アニメ検定何級ぐらいだと、この口を開いた瞬間からオタクとバレるレベルなのだろうか? あと、大して詳しくもない仮面ライダーマニアと思われることもあったが、ここまでくるとどの検定でも量れないレベルではないだろうか(笑)。

 

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2008年11月23日 (日)

オーロラエクスキューション

 ところで、ヘキサゴン本編のリレークイズで出された、「銅と錫(すず)の合金を青銅というが、英語で言うと何?」という問題、あのつるの剛士さんはその答えが「ブロンズ」であるということを知っていた。何故なら「聖闘士星矢」を読んでいたからだ。青銅聖闘士と書いてブロンズセイントと読むことを知ってれば、答えれる問題だったのである。多分、その気になれば絶対零度という解答の問題も答えれるはずである。


 2月29日のブログに書いていた文章である。
 つるのさんは今週のヘキサゴンで期待通りに「絶対零度」を答えてくれた。カミュ先生が命を掛けて絶対零度まで導いたのは氷河だけではなかったようである。
 そう、マンガを読んでればある程度の知識は身に付くものなのである。

 ところで、方々で漢字が読めないと評判の某総理大臣。
 果たして、「金糸雀」を読むことができるであろうか? 「未曾有」が読めないだけならバカで済むが、「金糸雀」が読めないと「ローゼン麻生」が聴いて呆れることになるだろう。
 「こち亀で笑えるかが健康のバロメーター」なんてことを言ってたが、笑えないのは疲れてるからではなく内容が理解できないだけだろ。元気ならガンダムマニアをネタにしてたこの間の内容も理解できるのか?(あの回は、考えようによっては総理のような人間を皮肉ってる気がしなくもないが…)

 別に誰に言われたわけでもないけど、「オタクは自分の興味あるものしか詳しく」といわれるのが嫌で、結構色んなことを手広くやってきたつもりだけど(どんなに手を広げたところで発言を撤回することはできないだろうけど、興味ないものまで詳しいオタク以外の人間にあったことがない)、あの総理大臣には「マンガばかり読むからバカだ」と言われて何も考えないのだろうか?
 精々、「バカとは何事だ」ぐらいは思うかもしれないが、マンガを引き合いに出されたことに関しては何も思わないのではないだろうか?

 少なくとも、「さよなら絶望先生」に何か反応を示さないうちはとてもマンガ通とは認められない。
 自分の顔がマンガに描いてあるのに何も反応しないマンガ通がありえるだろうか?

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2008年11月 9日 (日)

2000年巨人軍決起集会

 「レッド・クリフ PsrtⅠ」を見たのだが、この映画は一体どういう層を狙って作られているのだろうか?
 個人的には、あまりいい映画だったとは思えない。正直、見る前からダメ映画の臭いがプンプンして仕方なかった、どういう事情があったか知らないが、チラシを見て呉の武将の中でも人気が高いであろう甘寧が何故か甘興という別の名前にされていたのを知った時から。

 そもそも、この映画の最大の問題点は、曹操軍をダースベイダー率いる帝国軍のような悪の帝国として描いていることである。ハリウッド映画という分かりやすいものが好まれる作風だったのかも知れないが、曹操を単純な悪役にしては三国志の魅力の半分を喪失したといっても過言ではないだろう。PartⅠのラストで「女のために戦を仕掛けたのか」と部下に思われるシーンがあったが、「龍狼伝」の似たような場面では、荀彧が「丞相という人間を甘く見ておられます」とフォローしている。
 「蒼天航路」に代表されるように昨今の曹操像は善悪を超えたヒーローといっても過言ではないのである。だから、三国志の世界で悪役を求められた場合、最終的に勝者となった司馬懿が悪役にされてしまうのである。日本人なら、織田信長という非常に例えやすい人物がいるために受け入れやすいのかも知れないが、そうでない人間いは、曹操という人間を理解することは難しいのだろうか?

 それから、上映時間の関係があるのかも知れないが、冒頭の新野城からの撤退戦。完全な劉備軍の負け戦の描写だったが、演義では天才軍師孔明のデビュー二戦目である。わざと城内に敵を誘い込んでからの奇襲攻撃で曹仁を破っているのに、どう見ても一方的な負け戦。ちなみに、演義では、この戦いが伏線となって後に空城の計で司馬懿を撤退させることに成功してるのである。
 また、救出された阿斗を劉備が地面に叩きつけて「子供はいくらでも作ることができるが、お前(趙雲)のような優秀な部下は簡単には得られない」みたいなことを言って趙雲を感激させるシーンが完全にカットされている。21世紀の倫理観が子供を地面に叩きつけることを許さなかったのだろうか? まぁ、そんなことを言ってたら嫁を殺してその肉で劉備をもてなした男の話はどうなんだという話になるが、長坂橋の張飛の仁王立ちをカットしたのはどういう事情だろうか? ロケした場所にそれらしい地形がなかったから無視したんだろうか?

 しかし、こんな細かいことに目くじらを立てていたら、「三国志大戦」なんて見てられないはずかも知れないが、何故かアレはアレで許せてしまうから不思議である。日本の大河ドラマだって、明らかにおかしい描写だって腐るほどあるわけだし、気にする方が変なのかも知れない。

 では、冒頭の疑問に戻ると、三国志ファン以外でこの映画を見る人間はどんな人間なのだろうか?
 ハッキリ言って、最低限の三国志の知識がなければ理解できない。近所で吹き替え版しか公開されてなかったので、仕方なくそれを見たが、曹操に「漢の丞相」とテロップを入れたところで三国志ファンならそんな説明は必要ないし、何も知らない人間には「丞相とは何ぞや?」の世界である。ファンにして見れば、テロップを入れるなら脇役にもテロップを入れて欲しかったのではないだろうか? スタッフロールを見るまで楽進がいたことに気づかなかったです(元から地味の極みみたいな武将だけど)。
 とにかく、ファンには不満ばかり、そうでない人間には???だらけ、何がしたかったんだろう? それはPartⅡで描かれるであろう真っ赤に燃え上がる曹操の大船団を映像にしたかっただけではないだろうか? 仮に三国志の映像化を赤壁中心で進めるとしたら、孔明の登場から描いても問題ないように思えるのだが。

 最後にどうでもいい感想だが、自分の役の日本語吹き替えまで担当してる中村獅童はよほど暇だったんだろうなぁ…。

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2008年11月 4日 (火)

Анкоку Жигоку Гокураку Отоши

 プロ格闘家への転向を表明した石井慧選手、見た目や言動や態度が「スラムダンク」の森重寛と重なるのは自分だけだろうか?

 しかし、恐れを知らぬというか、何もわかっていないだけなのか知らないが、彼は自分が負けるということの意味を理解していないのだろう。
 石井選手が金メダルを取った北京五輪で、メダルも獲れずに良いところなしで帰ってきた星野ジャパン(とりわけ星野監督)がどれだけ叩かれたかを見てないのか(まぁ、見てなさそうだけど)。
 国の威信を背負って五輪に出場し無事金メダルを獲ったから理解できていないのかも知れないが、今度は柔道というものを背負わされてるのである。数年前の大晦日、曙がボブ・サップにKO負けをした瞬間、一部で叫ばれていた相撲最強説が揺らいだのと同じように、総合格闘技で石井選手が負けることで、日本柔道(五輪金メダリストだから下手すれば柔道という競技そのもの)の威信が大きく傷ついてしまうのである。
 ちなみに、曙の時は「横綱といえども所詮は引退した身」という弁解の余地はあった。他のプロ格闘家に転向したメダリストの先輩方もピークを過ぎてからの転向であった(まさか、どこかのオーガみたいに未だにピークに達してないわけないだろうし)。
 プロ転向前から負けた時のことを考えるような弱腰ではダメなのかも知れないが、少なくとも本人以外の柔道関係者が1番恐れてるのは、ロンドン五輪も狙える有望選手やあとに続く選手の流出よりも、そんな現役最強選手が負けて、柔道が弱いと思われることだろう。

 それにしても、石井選手はプロで通じるだろうか?
 格闘技に関しては、全くといって良いほど素人なので技術的な面ではその強さは分からないが、思想や精神的な面から見れば、確実に大成することは無いと断言できる。
 高校の頃の模試の評論文だったと思うが、ボクシングのアリやフォアマンには信仰心があったが、タイソンにはそういう精神面を支えるものが何もなかったからああなったという感じの文章があった。信仰心というと日本人になにじみが無いかも知れないが、○○道と言ってしまえば、理解しやすいだろうか。何にでも「道」をつけるのが日本人と言われるが、道と付けば、それは限りなく宗教行為に近付くのである(それはまた別の話)。
 柔術と呼ばれていたものが柔道となった時点で、それは限りなく宗教行為になっていたのである。石井選手は割りと簡単に柔道を捨てれたようである。果たして、転向した先にプロ格闘家道なんてものが存在するだろうか? プロ格闘家になった諸先輩も自前の柔道の道場を持っていたりと、柔道家の魂や誇りを忘れていないようである。
 
 結論から言えば、勝ってるうちは良いだろうけど、負けた時にそこからズルズルと落ちていく。
 落ちたところで、そこから再起することは難しいだろう。ほら、ちょうどさっき名前の出たボブ・サップのように…。

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