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2009年4月 9日 (木)

らせんにループする呪い

 だいぶ前の話になるが、85年の阪神優勝の時に道頓堀に投げ込まれたカーネル・サンダース人形が引き上げられたそうである。
 それ以降、リーグ優勝はできても日本一になれないことなどを差して「カーネル・サンダースの呪い」なんて言われて来たが、これで呪いも解けるだろう…、というのは楽観的過ぎないだろうか?

 散々パロディにもなったので知名度は実在の妖怪(?)以上であろう「リング」の山村貞子が、井戸から出てきて呪い殺すのは常識と考えてもいいだろう。しかし、その貞子さんに呪い殺された高山竜司は何をして呪いが解けたと安心したかまでは覚えていないのだろうか?
 高山は主人公と一緒に貞子の遺体を捜し出して埋葬したことで呪いが解けたと信じたのである(予定の時間になっても主人公が死ななかったので確信を持ったわけだが)。

 さぁ、ここで件のお人形さんの話に戻ってみよう。
 引き上げて丁重に奉ったぐらいで呪いが解けると思えるだろうか?

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2009年4月 8日 (水)

歴史番組はNHKに限る

 基本的に歴史が好きである。理由は、学研のマンガ日本の歴史や伝記を読んでいたからで、歴史なんて自分に言わせたらマンガである。
 だから、NHKの水曜10時の歴史番組は小学生の頃の「歴史発見」辺りからずっと見てきた。「歴史発見」なんてのを見てたから、逆説の日本史が全巻揃ってたりするんだろうと思う。あの番組は、今までの歴史とは違う新説をメインで扱う番組だったので、井沢元彦さんがゲストで呼ばれて新説を披露されていた。特に、一休さん程度の知識しかない頃に足利義満が天皇の地位(正確には息子を天皇にすることで上皇)を狙い、そのために暗殺されたという説は衝撃的なものであった。
 それから、この時間の番組は、「ライバル日本史」や「堂々日本史」を経て、「その時、歴史が動いた」へと続き、今月から始まった「歴史秘話ヒストリア」になるわけである。
 余談になるが、「ライバル日本史」で1番覚えているのは、宮本武蔵VS佐々木小次郎の回である。この回の最大の見所は、小次郎の物干し竿に武蔵が本来の(?)二刀流で戦ったらどうなるかを検証するために、実際に試合をしたところである。結果は、小次郎役の方が勝ったと思う。つまり、櫓を削った木刀を得物に選んだ武蔵の判断は正しかったということなのだろう。

 しかし、歴史番組は民放だって負けてはいないはずだが、どうも民放のものは見る気になれない。
 一昔前なら、「知ってるつもり」のようないい番組もあったはずなのに、どうにも最近は奇説怪説、ゴシップなどのどうしようもない話を引っ張り出してはスタジオでわいわい言うだけのバラエティー番組になっている気がする。まして、NHKでもないのに大河ドラマに便乗して、今なら直江兼続を取り上げたりとか節操がない。同じ取り上げるのしても、「本当は怖いグリム童話」のように金で武田を買収した話や、国替えの際に越後の資産を会津にごっそり持っていっただとか、冤罪で殺した下人の遺族が謝罪も受け入れずに「生き返らせろ」と無理難題を言うから、閻魔大王への使いに出したのような、大河ドラマで絶対に取り上げないような部分を取り上げれば面白いのに。

 で、新たに始まった「歴史秘話ヒストリア」であるが、「その時、歴史が動いた」ほどお堅いイメージはない。別に取り上げる対象が必ずしも歴史を動かしたわけではにのだから。 そういう意味で、その時は酷くなっていったものだ。「その歴史は何mm動いたんだ」という程度のその時から、何もかもが終わった後で「その時」では有り難味がない。第1回の東郷平八郎が旋回の指示を出した瞬間のような劇的なその時は何回あっただろうか。
 そういう意味で、「歴史秘話ヒストリア」はネタの安定した供給が目的なのではないだろうか。

 どうでもいいことではあるが、音楽担当が梶浦由記さんなので、.hackか何かを見てるような錯覚を覚えるのは自分だけだろうか?(資料映像とはいえ、戦国無双を使ったりとか革新的なこともやってる番組だったりするし)

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2009年4月 7日 (火)

失われた曜日感覚を求めて

 人間は何を以って曜日感覚を維持しているのであろうか? 
 海軍では、決まった曜日にカレーを出すことで曜日感覚の維持していたという。逆に言えば、曜日感覚の維持というのは、人間が社会生活を営む上で欠いてはならないからといえないだろうか。
 多分、学生の頃は、授業の時間割で曜日感覚を維持できただろう。しかし、大人になると学校で授業を受けることはない。大人が学生時代同様の曜日感覚を維持するもの、それはテレビ番組である。
 「今日はドラえもんがあるから金曜日」「ふしぎ発見があるから土曜日」というのが20年以上前から体に染み付いている曜日感覚である。

 ところが、この度、TBSは春の大改編だとかで多くの番組が曜日移動となってしまった。
 フレンドパークが木曜日だったり、うたばんが日曜日だとか毎週見てた番組ではないのに違和感がありすぎる。それに、ゴールデンタイムにニュース番組を入れた所で、NHKのニュースに勝てるとでも本気で思っているのだろうか?

 全然関係ないが、その昔、蜀が魏に滅ぼされる遠因となったのは、魏延が整備した漢中防衛体制を姜維が変更したからというのもあるらしい。
 物事には必ず弊害というものが存在し、多くの場合、実行されるまで決してそれらが表に出ることはない。しかし、それでいて少し考えれば分かりそうなことばかりだから性質が悪い。
 TBSは大々的に宣伝した大改編の弊害をどこまで認識できていたのだろうか?
 

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2009年4月 6日 (月)

1万円と2千円くれたら愛してる

 少し気が早いが、定額給付金1万2千円をどう使うかだが、果たして1万2千円とはそれほどありがたい額なのであろうか?

 麻生総理が好きらしいマンガの単行本では30冊も買えない金額である。古本屋の1冊100円のマンガなら120冊買えるという計算をした方がいいのだろうか?
 ゲーム関係では精々ソフト2本程度がいいところだろう。派手に使って欲しいというのなら、据え置きのゲーム機を買いたいものである。
 DVDは叩き売りでもない限りBOXを買うこともできない。BOXというかせめてアニメ1シーズンぐらいは1度に揃えたいものである。

 正直、1万2千円というのは奮発すれば出せなくもない金額なのである。
 本当に景気を刺激しようというのなら最低でも1人3万円ぐらいからバラ巻いた方がよかったのではないだろうか?
 3万円あれば、買いそびれたるろ剣の完全版やウルトラマンレオのDVDを揃えたりできるんだろうけどねぇ。

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2009年4月 5日 (日)

天地を喰らうと人が余る

 大河ドラマの「天地人」だが、さすがにこれ以上の視聴には耐えれないと判断して切ることにした。

 後年、冤罪で殺してしまった下男の家族が「下男を生き返らせろ」とごねたら、閻魔大王宛ての「この者たちを使いに出すので下男を生き返らせて欲しい」という手紙を持たせて皆殺しにするような素敵な直江兼続の甘すぎること甘すぎること。
 当時は戦国時代である。敵を生かしておくということがどういうことになるかは平家物語程度の教養があれば常識だろう。平清盛は頼朝や義経に情けをかけて生かしてしまったために、一門滅亡という結末を招いたのである。大阪の陣で豊臣氏を滅亡させた家康はそのことを踏まえていたのである。数百年前の平家のに例を求めなくても、天地人の1話で景勝の父親がどうなったかを覚えていないのだろうか?
 それに、劇中の描写では「御舘の乱」の兆候は謙信存命時から見え隠れしていたはずである。自分が死ねば家中が割れることを考えずに死んだ謙信を暗にバカだとでも言いたいのだろうか?
 バカといえば、御舘の乱のきっかけとなった柿崎晴家の景勝の屋敷への奇襲だが、完全武装で奇襲した方が一方的に返り討ちにあうというのはどれだけマヌケなことか理解できているのだろうか? 本能寺の変がどういう展開だったか知ってますか? せめて、兼続が事前に奇襲を予測していたぐらいのフォローは欲しいものだが。

 御舘の乱の景勝サイドの勝因は、本丸を占拠したことと、そこにある資金を元手に武田を懐柔したことである。
 天地人では、謙信の葬儀の夜のうちに本丸を占拠していたが、これは兼続ではなく父親の差し金によるものとなっていた。景勝も父親からの報告でそのことを十分承知していたはずである。論功行賞になれば、兼続よりも父親の方が勲一等であるはずである。兼続はあくまで父親の命に従っただけなのだから。
 しかし、現実には父親ではなく兼続が勲一等で婿養子の形で直江家に入り、直江兼続となって権勢を振るうわけである。これでは、お気に入りの家臣を贔屓しただけになるのではないだろうか。論功行賞が原因で反乱が起きるのも当然だろ。

 とにかく、兼続を含めて登場人物をいい人に描きすぎである。そして、そのしわ寄せを父親を含めた周りの人間に転嫁してるから性質が悪い。
 視聴を切ると宣言しておいてなんだが、御舘の乱では、戦にならないように動いてた兼続さんがどういう心変わりをして積極的に家康との対決路線を明確にして関ヶ原への道を進んでいくのかには多少興味がある。豊臣の天下を奪おうという家康に義が無いというのなら、織田の天下を掠め取った誰かさんとはどうして戦わなかったのかにも興味が尽きない。

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2009年4月 4日 (土)

地デジの星

 共同アンテナの契約が3月末で切れるそうなので、これを機に家に地デジのアンテナを立てることになった。
 さらに10年酷使した部屋のテレビも去年の終わり頃に、3つある入力端子の内1つが完全に機能しなくなり、年明けからは画面が乱れ始め、テレビを叩くと何とか正常な状態になるという壊れっぷりだったので、こちらも32型のAQUOSに大変身することとなった。

 たしかに、地デジ&液晶テレビは美しい。右上に嫌味ったらしく「アナログ」と表示されないのは素晴らしい(代わりに放送局のロゴが出るけど)。
 その昔、荊州を占領した曹操は「荊州を手に入れたことよりも蒯 越を手に入れたことの方がうれしい」という台詞を残したことがある(レッドクリフでは丸々カット)。
 そう、「地デジよりも、テレビせとうち(テレ東系)が映るようになったことの方がうれしい」である。

 我が広島県福山市は岡山に近いこともあり、一部の地域ではテレビせとうちを受信することができたが、共同アンテナだった我が家では不可能であった。エヴァブームの頃、自分の家にテレビせとうちが映らなかったことをどれほど悔やんだであろうか…。

 十数年来の悲願が叶ったのである。
 残念ながら、この喜びを表現するだけの語彙を持ち合わせていない。
 例えるなら、ARIAの最終回の灯里と同じぐらいうれしいと言えばいいのだろうか。

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2009年4月 3日 (金)

HHHとフレアーとオートンとバティスタ

 順番は逆になるが、「ドラゴンボール EVOLUTION」も見た。
 感想としては、何も感じない。志々雄様の言葉を借りれば、「毒にも薬にもなりやしねぇ」である。

 「ジェネラル・ルージュの凱旋」のように原作と違うことで明らかに魅力を損なっているわけではない。
 料理で例えるなら、大勝軒という看板の店で特別美味しいわけでもないパスタを出されたようなものだ。どこが大勝軒なのだと思ったら麺が大勝軒と同じときた。
 
 それはそうと、もう10年以上前に「北斗の拳」も実写映画になっていたのを覚えている人間がいるだろうか? 「スーパーマリオ」の実写映画もあったことをマニア知識として以外で覚えている人間がどれだけいるだろうか?
 果たして、10年後のこの映画の扱いはどうなっているのだろうか。
 

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2009年4月 2日 (木)

ロジカル・モンスターの凱旋

 「ジェネラル・ルージュの凱旋」をようやく見てきたわけだが、原作未読だった前作の「チーム・バチスタの栄光」と違って今回は原作を読んでからの鑑賞である。
 正直言って、期待していなかった。
 まず、個人的に一押しの姫宮がいない。姫宮の不在を他の作品で例えるなら長門のいない涼宮ハルヒシリーズである(でも、文章で読む限り長門はいてもいなくてもそんなに関係ないだろとか言わない)。
 姫宮だけでなく、同時進行の「ナイチンゲールの沈黙」をバッサリと切り落としているので原作を100%とするなら期待値は50%以下といったところだろうか(人物面で「ナイチンゲールの沈黙」と「ジェネラル・ルージュの凱旋」は表裏一体になっている)。

 しかし、現実は違っていた。足りない分を勇気で補うどこかの勇者王のように不足分を補って余りあったのは阿部寛さん演じる白鳥圭一郎の存在である。
 ハッキリ言って、この映画は阿部寛のための映画だったといっても過言ではない。

 というよりも、最近原作を読んだニワカ者が見ても首をひねる部分が多すぎた。
 特に、平泉成さん演じる黒崎教授が速水を糾弾する沼田倫理副委員長(原作では委員長)に「君は私が10年来胸に溜めていた言葉を言ってくれた」と感謝するシーン。映画では、その一言で終わりだが原作では、その後、速水を更に糾弾するように思わせて、速水が自分と絶対に相容れることのない人間だと断言しつつも、医師として最大の評価をしていると認めるのである。後半の下りがないのでは何のために黒崎教授を出す必要があったのだろうか? パンフレットには「速水の医師としての腕を誰よりも認めている」と書いてあったが、映画を見る人間が全員パンフレットを読むわけではないだろう。
 これでは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に「イタリア帰りでオペラを歌いながら会議に参加する平泉成」というネタを提供するためだけの出演と思われても仕方ない。

 そして、映画で起こる殺人事件、本当に必要だったのだろうか?
 この取って付けたような殺人事件が原作の魅力を殺してるような気がしてならない。

 最初に触れた姫宮だが、原作では姫宮の存在が「螺鈿迷宮」のプロローグとなっている。
 この先の映像展開がどうなるかは分からないが、原作のように他の作品と密接に絡んだりしてファンがニヤリとできることは少ないのではないだろうか。
 個人的にに「ジェネラル・ルージュの凱旋」と「螺鈿迷宮」のエピローグが交わる先に期待しているのだが。

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2009年4月 1日 (水)

怪獣殿下ではない

 エイプリルフールということで円谷プロのHPを楽しみにしていたのだが、毎年ブ飛んだことをしているのが評判になったのか、重くてほとんど繋がらず「ごもたんぶろぐ」を読むことができたぐらいであった。
 
 そう、ゴモラである。
 ウルトラマン(初代)に登場した怪獣の中で、バルタン星人、レッドキング、ピグモン、ゴモラ、ゼットンは一般常識の範疇だと思う。
 その中で、人間の味方と定評のあるピグモンは別格として、ゴモラもウルトラギャラクシー大怪獣バトルでは主役怪獣という待遇を受けている。それは何故か。
 まず、バルタン星人には30年以上に渡って地球侵略を繰り返してきた実績がある。どの面を下げて正義の味方ができるというのだ。
 次にレッドキングも強豪怪獣というイメージはあるが、実際のウルトラマンとの戦いで、初代はカラータイマー点滅前にスペシウム光線なしで倒されるという不名誉な記録を残し、その後登場した2代目も水爆を飲み込んで光線技が使えないハンデを負ったウルトラマンに敗北している。そう、ウルトラマンとの戦いを見る限りレッドキングは余り強くない部類の怪獣になる。そして、何より人気怪獣のピグモンを殺したという悪行がレッドキングをヒーローにはしないのだろう。
 最後にゼットン。ウルトラマンを倒した最強怪獣というのが存在意義である。1期でラスボスの一角を務めたように最強の敵として立ちはだかるのが相応しい怪獣であり主役はありえない。

 それに対して、ゴモラ。
 デザイン的には怪獣の王道を行く恐竜型。大怪獣バトルでは超振動波という飛び道具を必殺技にしているが初代は長い尻尾を活かした肉弾攻撃のみでウルトラマンを1度は退けている。さらに、ゴモラの出自はジョンソン島で眠っていたところを万博で生きたまま展示するという人間のエゴで連れて来られた為に暴れたのである。間違えても何の理由もなく現れて暴れまわって他の怪獣とは違う悲劇性がそこにはある。
 ウルトラシリーズ以外でゴモラに近い怪獣といえば、ゴジラがそうであろう。

 約40年近いウルトラシリーズの歴史の中で、知名度&人気、実力、背景など唯一主役として耐えうる存在がゴモラなのである。 

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