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2009年4月 2日 (木)

ロジカル・モンスターの凱旋

 「ジェネラル・ルージュの凱旋」をようやく見てきたわけだが、原作未読だった前作の「チーム・バチスタの栄光」と違って今回は原作を読んでからの鑑賞である。
 正直言って、期待していなかった。
 まず、個人的に一押しの姫宮がいない。姫宮の不在を他の作品で例えるなら長門のいない涼宮ハルヒシリーズである(でも、文章で読む限り長門はいてもいなくてもそんなに関係ないだろとか言わない)。
 姫宮だけでなく、同時進行の「ナイチンゲールの沈黙」をバッサリと切り落としているので原作を100%とするなら期待値は50%以下といったところだろうか(人物面で「ナイチンゲールの沈黙」と「ジェネラル・ルージュの凱旋」は表裏一体になっている)。

 しかし、現実は違っていた。足りない分を勇気で補うどこかの勇者王のように不足分を補って余りあったのは阿部寛さん演じる白鳥圭一郎の存在である。
 ハッキリ言って、この映画は阿部寛のための映画だったといっても過言ではない。

 というよりも、最近原作を読んだニワカ者が見ても首をひねる部分が多すぎた。
 特に、平泉成さん演じる黒崎教授が速水を糾弾する沼田倫理副委員長(原作では委員長)に「君は私が10年来胸に溜めていた言葉を言ってくれた」と感謝するシーン。映画では、その一言で終わりだが原作では、その後、速水を更に糾弾するように思わせて、速水が自分と絶対に相容れることのない人間だと断言しつつも、医師として最大の評価をしていると認めるのである。後半の下りがないのでは何のために黒崎教授を出す必要があったのだろうか? パンフレットには「速水の医師としての腕を誰よりも認めている」と書いてあったが、映画を見る人間が全員パンフレットを読むわけではないだろう。
 これでは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に「イタリア帰りでオペラを歌いながら会議に参加する平泉成」というネタを提供するためだけの出演と思われても仕方ない。

 そして、映画で起こる殺人事件、本当に必要だったのだろうか?
 この取って付けたような殺人事件が原作の魅力を殺してるような気がしてならない。

 最初に触れた姫宮だが、原作では姫宮の存在が「螺鈿迷宮」のプロローグとなっている。
 この先の映像展開がどうなるかは分からないが、原作のように他の作品と密接に絡んだりしてファンがニヤリとできることは少ないのではないだろうか。
 個人的にに「ジェネラル・ルージュの凱旋」と「螺鈿迷宮」のエピローグが交わる先に期待しているのだが。

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