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2010年3月 8日 (月)

第一種警戒態勢

 受賞と言えば、WWE殿堂にアントニオ猪木氏が迎えられるそうで、レッスルマニア前日の殿堂入り式典で数多のスーパースターの祝福を受けることになるだろう。実に喜ばしいことであるのか?

 たしかに、WWE殿堂と銘打ってあるが、今は無きライバル団体であったAWAのバーン・ガニアも受賞したように「プロレスに貢献した人間を迎える」という意味では、WWEの枠に収まっていない。WWEとケンカ別れしたカート・アングルだって、いずれは殿堂入りするだろう(WWEにいた頃から「殿堂入り確実」とアナウンスされていたわけだし)。まぁ、人生の最期であんな事件を起こしてしまい、ロイヤルランブルの歴代優勝者の中から名前を消されてる某氏が迎えられることはないだろうけど。

 ところで、AWAという団体がどうして今は存在しないのか? AWAの方にも色々問題はあったかもしれないが、最大の原因はWWE(当時WWF)の全米マット統一計画によって選手を引き抜かれ、最終的に団体を買収されたことである。WWEではない団体であっても、AWAに関する権利関係はすべてWWEが押さえているのである(「レガシー・オブ・AWA」というAWAの興亡を描いたDVDも出ている)。バーン・ガニアをWWE殿堂に迎えたことは、団体の垣根を越えたわけではなく、AWAもWWEの一部という意識の現れでもあるのだ。
 WWEの会長ビンセント・ケネディ・マクマホンは恐ろしい人間である。アメリカのプロレス団体を統一してしまったのだから。
 それこそ、プロレスの世界では、始皇帝や織田信長、ナポレオンのような人物である。ストーンコールドに銃を突きつけられて失禁したり、服従を迫り尻に口づけをさせるような変なおじさんだけではないのである。

 そんなビンスもかつて日本のマットも支配下に置こうとしたことがある。しかし、かのジャイアント馬場さんが「オレがマティソン・スクエア・ガーデンで王座戦をしてた時にリングサイドにいたガキに好き勝手させてたまるか」と一喝されて、諦めたそうである。
 その馬場さんのライバルであるアントニオ猪木氏のWWE殿堂入り。直接見聞きしてるわけではないが、資料によると、本当にアメリカのマットで成功したのは、馬場さんとグレート・ムタだけだそうである。殿堂入りの功績は馬場さんの方が相応しいのである(ノーベル賞と違って、故人でも殿堂入りする)。実際、JR(実況のおじさんだけど、本当は副社長でもある)のブログにも「アントニオ猪木はどういう功績で殿堂入りするのでしょうか?」という質問が来てたし。

 さて、どうして、馬場さんでなくアントニオ猪木氏の方を殿堂に迎えるのか。それは、生きている猪木氏の日本人への知名度を考えてのものではないだろうか? 猪木氏本人の悪い噂は絶えないが、生きてる人間では1番日本人に馴染み深いプロレスラーだろう。そんな猪木氏をWWE殿堂に迎える。別にハルク・ホーガンやリック・フレアーが殿堂入りしても特にWWE殿堂を報道してこなかった日本のマスコミが猪木氏の殿堂入りに当たって、ヤフーのトップにも出る程度に報道していた。

 これは、WWEの日本進出の前触れではないだろうか? 猪木氏をWWE殿堂に迎えることは大昔で言えば、金印を与えるようなものである。そりゃ、定期的に日本公演を行ったりして、日本進出はしてるだろうけど、もっと深いレベル、例えば、シルク・ドゥ・ソレイユの日本の常設舞台のように、日本に参加の団体を送り込むとか。
 多くの日本人は知らないだろうけど、日本のプロレスのレベルの高さは世界レベルである。向こうのマニアの間では、日本の試合を収録したビデオが密かに流通してるとか。さっきの名前を消されてる某氏も「ニュージャパンのドージョーで鍛えられてたんだ」と解説されてたし。
 正直、最近のWWEのスーパースターは試合が面白くない(個人的に去年のベストバウトはアンダーテイカーvsHBKのベテラン同士の一戦だと思うし)、試合巧者が少なくなっている。だから、日本のプロレス技術は喉から手が出るほど欲しいのではないか。

 ペリーの黒船だって、予告なしで突然現れたわけではない。その前から、民間レベルでアメリカ船は日本に来ていたし、オランダ商館経由でペリー来航の情報は幕府にもたらされていた。
 そりゃ、杞憂かもしれないが、WWEによる本格的な日本への進出、ゴジラで言えば、第一種警戒態勢を発令してもおかしくない状況だと思う。
 当の猪木氏自身は、自分のWWE殿堂入りがそういう事態を招くことを予想してるのだろうか? 予想してたら新日を追い出されてないか。

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2010年3月 7日 (日)

声優泡ーど

 またこの季節になったが、アニメに興味のある人間以外に誰が存在を知っていることやら。
 今回の受賞で1番疑問なのは、歌唱賞の放課後ティータイムの中の3人。けいおん!を見れば分かるが、放課後ティータイムで実際に歌を歌うのは、唯と澪の二人だけである。果たして、歌唱賞をまとめて送るのに相応しいだろうか? 言い方は悪いが、物語の進行上、あずにゃんは放課後ティータイムとして活動してる期間が短いのに一まとめに受賞させても良かったのだろうか?
 ついでに言えば、声優の歌唱部門に関しては、数年前から水樹奈々さんの一人勝ちである。別に歌唱賞を受賞した3年前から衰えているどころか、去年はアルバムがオリコン1位をとり、西武ドームでライブをやり、紅白にまで出場したのである。話題賞で片付けるには無理が無いだろうか?

 それに、新人賞も意味があるのだろうか? たしか、デビュー5年以内が条件だったと思うが、受賞者は大体、何らかの作品で主役を演じた人間である。デビュー5年以内に主役を任された時点で、新人賞なんて挙げなくても十分な評価を受けていると思うのだが。それこそ、脇役でいい演技をして伸びしろがある人間を発掘する方が新人賞に相応しいのではないだろうか?

 とにかく、毎年のように書いてるが、声優を評価するのに今の声優アワードは相応しくない。

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2010年3月 1日 (月)

エンドレスエイト考

 唐突だが、昨年、物議を醸したアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイト、このまま終わってもいい話なのだろうか? 話としては、無事に9月1日を迎えることができたから、めでたしめでたしなのかもしれないが、本当にその状態で終わっていいものだったのか? もっと言えば、ハルヒが15532回(アニメ換算)も夏休みをやり直してまでやりたかったことが、「みんなで一緒に宿題をする」というもので良かったのか。

 そう、多くの人間が夏休みの宿題こそがエンドレスエイト脱出のカギであり、ハルヒがやり残したことはみんなで宿題をすることだと誤認しているのである。恥ずかしながら、つい最近まで自分もそう考えていた。
 「みんなで宿題」は決して、エンドレスエイトの脱出の答えではないのである。何故なら、アニメでも原作でも8月31日にハルヒがみんなと宿題をやっている描写はないから、原作から引用すると、「ずっと俺の妹と遊んでいた」(涼宮ハルヒの暴走81ページ)としか書いてない。15532回も繰り返してまで待ち望んでいた、みんなと一緒にやる宿題をやっていないのである。
 「みんなで宿題」がエンドレスエイト脱出の鍵ではないとしたら、一体何が本当の鍵だったのか。それは、15532回目の8月31日に答えが隠されている。というよりも、残されている答えは、「キョンの家に行く」という行為そのものだったとしか考えられない。つまり、ハルヒが本当に欲しかったのは、キョンの家に行く口実だったのである。
 エンドレスエイトの真相、それは好きな男の家に遊びに行くのに600年近くもかかった少女の話だったのである…。

 それにしても、何故、多くの人間が宿題が脱出の鍵であると誤認し続けていたか。
 それは、古泉によるミスリードとそれを簡単に信じたキョンの視点で物語が描かれていることに由来する。
 ミステリーなどでは、「信頼できない語り手」というものが存在する。語り手の一人称で物語が語られているにも関わらず、何らかの意図で事実を捻じ曲げるなどして物語を語る語り手のことである。有名なところでは、アガサ・クリスティの「×××××××」が挙げられる(まぁ、一応伏せた方がいいのかな?)。語り手自身が殺人事件の犯人のため、自分に不利になる情報を伏せているのである。
 では、キョンは涼宮ハルヒシリーズにおいて、何を捻じ曲げているのか。それは、女性陣の自分に向けられている好意に気付いていないことである。たしかに、無表情のはずの長門の微妙な変化に気付くなどの鋭い観察眼は持っているかも知れないが、その変化の意味には全く気付いていない(例え、胃が痛くなっても)。
 だから、古泉のミスリードに簡単に引っ掛かり、読者をも巻き込んでしまう。

 古泉が何を思ってそんなミスリードを仕掛けたのかは謎である。この時点でハルヒの好意をキョンに認識させるのが得策でないと判断したのか、単にハルヒの好意に気付かないキョンにいたずらをしただけなのか。ハルヒに告白をしようと冗談を言った時にアニメにすら出なかったキョンの顔を見ている古泉なら、後者の方のような気がしなくもない。

 邪推だが、エンドレスエイトを8回も繰り返した理由の中に、原作者自身が、自分の仕掛けたミスリードから抜け出せない多くの人間に真相に辿り着くキッカケにして欲しかったというのもあったのではないだろうか?

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