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2010年9月12日 (日)

ふしぎ発見の不思議

 なんと、「世界ふしぎ発見!」2週連続で初出演のAKBの人がパーフェクト達成の怪挙である。
 野々村真さんがふしぎ発見25年の歴史の中で2回しかパーフェクトを達成していないことを考えたら、これがどれだけ凄いことかは理解できるだろう。

 しかし、今までのふしぎ発見でヤラセと思わしき場面がなかったわけでもない。
 例えば、それまで的外れな解答ばかりしていたゲストが急にまともな正解をする時などがそうだ。まぁ、番組的に言えば、せっかくゲストに出てもらったのに1問も正解できずに帰らすのは悪いからという配慮なのだろうけど、目の肥えた視聴者にはバレバレだろう。

 それにしても、パーフェクトを達成させた意図が理解できない。
 そりゃ、ふしぎ発見でパーフェクトを達成すれば、インテリ芸能人(?)の称号が手に入るのかもしれないが、上記の通り視聴者には半分バレバレだし、そのインテリ芸能人というポジションをキープするためには、今後どれだけの労力が必要になるかを考えると、気が遠くなるだろう。
 変な話だが、ふしぎ発見というのは正解を出すよりも間違った解答を自分がどういう考えで導き出したかを説明する時に本当の知性が分かる番組である。今回で言えば、ロバート・キャンベルさんとか。
 まぁ、AKBの中ではそれでインテリということで成立するのなら理解できなくもないが…。


 それにしても、「世界ふしぎ発見!」は今年で25周年だそうである、おそらく番組のMVPは野々村真さんで間違ないだろう。
 先程も話に出たが、20年前のふしぎ発見のクイズは難しすぎた。多分、今の高校生クイズで出しても遜色ないレベルで(もっとも、番組では編集されてるが、解答を考える時間は10分以上あったりするわけだから、それを早押しでやったりする高校生クイズがどれだけ異常かは…)。
 野々村さんは、普通に間違える。別の番組での草野さんの言葉を借りれば、「他の人よりも解答に時間をかけるのに間違える」そうである。

 では、そんな野々村さんがどうしてMVPなのか。
 それは、ゲスト解答者が安心して間違えれることだろう。昔、野々村さんが出した本のタイトルが「0点でも1等賞」だったと思うんだが、間違っても明るい野々村さんがいるからこそ、ゲストは間違っても卑屈にならずに済むのではないだろうか。

 ただ、自分の中では問題が4問から3問に減った時点で、クイズ番組よりも旅番組のようなモノとしてふしぎ発見を視聴してるわけで。 

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2010年9月 7日 (火)

高校生クイズはヘキサゴンに道を譲れ

 先日、「高校生クイズ」という番組が放送されていたので見たのだが、いつも見ていた高校生クイズは最近放送しなくなってさみしい限りである。

 しかし、何なんだろうね、あの胸糞悪いクソ番組は。
 格闘技で言えば、有名選手を呼ぶ金もなく、細かいルール作りも面倒なので、その辺の強そうな素人を某地下闘技場ルールで闘わせるようなものである。そりゃ、純粋な闘争という意味では極上のモノが楽しめるだろうが、傍から見ればただの殺し合いである、そういうのが好きな人にはたまらないだろうが、不謹慎である。
 今の高校生クイズは、そういう破廉恥なものを公共の電波に乗せて垂れ流してるのである。

 大体、宇宙の年齢を計算しろという問題出しといて、「正解者がいました、凄いですね」で終わっていいの?
 解説のVTRを作る予算もないほど厳しい製作状況なの? ヘキサゴンでは、おバカさんのために懇切丁寧な解説をしてくれるというのに。

 そう、最近のヘキサゴンである。 
 こちらも、タレント枠を削って素人の高校生を参加させてるのは見え見えなのだが、楽しそうではないか。笑いの多さでは高校生クイズと比較にならないだろう。
 高校生に対する紳助さんの圧力の掛け方も絶妙である。早押しクイズで中々抜けれない時は、テレビ出演の緊張と出演者たちの圧力のせいにしてしまえばいいのだ。

 高校生クイズが捨てたものをヘキサゴンが拾っている、そういう気がしてきた。
 

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2010年9月 4日 (土)

真・エンドレスエイト考2

 では、作者がエンドレスエイトと同じ叙述トリックを解説したエピソード「涼宮ハルヒの憤慨」の「編集長☆一直線!」を検証してみよう。
 その中でキョンが書いた恋愛小説こそ、エンドレスエイトと同じような叙述トリックを駆使したものである。
 叙述トリックというとミステリーで使われるものと思いがちだが、叙述トリックの第一人者の綾辻行人さんも「叙述トリックが使われるのはミステリーに限ったことではなくなっている」と言っていたように、キョンは恋愛小説に叙述トリックを持ち込んだのである。

 キョンが恋愛小説で行った叙述トリックとは、デートした相手であるミヨキチこと吉村美代子の素性を直接描写しないことで、ミヨキチが妹と同級生の小学生であることを隠したものである。しかし、古泉に指摘されたことで、オチの部分を書き加えることを決めたようだが、劇中でも古泉が見破ったように※の部分に注目すれば、オチは無くてもミヨキチの正体が推測可能である構造になっている。
 エンドレスエイトと同じ構造とはまさにこのことで、オチになる部分、エンドレスエイトで言えば、ハルヒがやり残したモノが何だったかを直接書かなくても、理解することはできるということである。

 ところで、キョンの恋愛小説にはもう一つの叙述トリックが仕掛けてあるのに気付いてるだろうか?
 それは、エンドレスエイト同様に「涼宮ハルヒシリーズ」自体に仕掛けられた叙述トリックの賜物である。
 涼宮ハルヒシリーズはキョンの一人称視点で物語は進行する(唯一の例外こそ、アニメの「サムデイ・イン・ザ・レイン」)。キョンの一人称で物語が進行するということは、キョンが認識できないものは本文に反映されることがない。「姑獲鳥の夏」で関口が目の前のあるモノを認識できなかったように、キョンは女性の自分への好意が認識できない(憂鬱のラストでハルヒに新世界に旧世界からただ一人連れて来られた時点でさぁ…)。

 結論から言えば、ミヨキチはキョンに好意を持っていて、本当はデートがしたかっただけである。
 上映中のB級ホラー映画に出てる俳優で小学生が好きになる俳優って誰が浮かぶか? デートに誘ってるだけということがバレないようにキョンを映画に誘う方便だったのだろう。それから、映画の後に寄った喫茶店、描写からしてデートの定番コースではないのか。
 最終的に、小説を読んだハルヒが結末部分を書いた原稿を寄こせとキョンに襲いかかるのがオチなわけだが、古泉が気付く程度の叙述トリックにハルヒが気付かないわけがない(孤島症候群でも分かるように、ミステリーに関してはそれなりの知識もあるようだし)。
 つまり、あの時のハルヒは小学生(当時)相手に本気で嫉妬してたわけである。

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2010年9月 3日 (金)

真・エンドレスエイト考1

 以前にも触れた涼宮ハルヒシリーズ最大の問題作エンドレスエイト。
 あれから色々思うところがあって、あの記事で思い違いをしていたことがあったので書いておく。

 記事の最後の方で古泉に関して触れてるあたりである。
 結論から言えば、古泉はミスリードのキョンを騙しているわけではない。しいて言えば、読者に対してミスリードを行っているのである。

 著作権に関わるかもしれないが、多くの人間が「ハルヒは宿題がしたかった」と誤認する根拠となった古泉の解説を抜粋してみよう。

 「涼宮さんは文武とも優秀なかたです。それは幼い頃からそうだったでしょう。ですから彼女は夏休みの宿題などが負担だとはまったく思わなかったのですよ。ましてや、友人とともに分担作業でするものでもなかったのです。涼宮さんはそんなことをするまでもなく、一人で簡単に片付けられる能力があるわけですから」(「涼宮ハルヒの暴走」P83より)

 2度3度読んでみて何か気付くことはないだろうか? そう、これは「涼宮ハルヒにとって、夏休みの宿題がどういうものであるか」を解説したものであって、エンドレスエイト事件を引き起こしたハルヒの夏休みのやり残しが何かを解説しているわけではないのである。ちなみに、次の行は「古泉の解説を聞きながら、」と続くが、解説とだけ書いてあるだけで何の解説かは具体的に書いてない。もし、これが「ハルヒの夏休みの心残りが宿題である」というのであれば「だから、涼宮さんは宿題を友人と分担作業でやりたかったのでしょう」という台詞や「古泉の今回の事件に関する解説を聞きながら」という文章が入ってないとおかしいのである。
 別に作者が不親切ではなく、確信犯的に叙述トリックを仕掛けている。
 実は、作者は別のエピソードで、エンドレスエイトと同じ構図の叙述トリックを仕掛けて丁寧に解説をしているのである。
 それについては次の記事で。

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2010年9月 2日 (木)

お菓子の家とゲーム博物館

 先日、伊集院光のラジオを録音しようとラジオを付けたら、杏野はるなというゲームアイドルが「自分の目的はアイドルとして売れることではなく、ゲームの博物館を作ることだ」みたいなことを真面目に話していた。
 いや~、ホント、寝言は寝て言えってヤツである。

 そもそも、ゲームの博物館が具体的にどういうものか知らないが、所謂、箱物になるだろう。
 箱物がどれだけ金を喰うかはニュースを見てれば理解できるだろう。まして、ゲームの博物館である。まさかゲームの博物館を標榜しておいて、ゲームソフトを並べて陳列するだけというわけにはいかないだろう。当然、実機でプレイできるようにしておかないと話にならない。
 具体的な計算をする術は知らないが、並の箱物の数倍の光熱費が掛ると考えても間違いではないだろう。

 アイドルがどれだけ稼げるか知らないが、良くてその光熱費程度の年収を稼ぐのが限界ではないだろうか?
 今までゲームに1000万使ったというのが自慢だそうだが、ゲームの博物館を建てるというのならケタが少し違ってくるのではないだろうか。

 要するに、ゲームの博物館というのはお菓子の家と同じレベルのお花畑思考に基づいた発想なのである。というか、お菓子の家の方がまだネタ(?)だと分かりやすいのでマシかもしれない。
 本気でゲームの博物館を建てる気なら、アイドル何かせずに新潟辺りに石油でも掘りに行った方が現実的なのではないだろうか。

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2010年9月 1日 (水)

オタクの作り方

 昨今、何かのオタクであることを売りにしている人間が多い。
 ただ、大体の人間はニワカ仕込みの知識でオタク振るものだから、すぐにエセであることがバレて叩かれたりするものだが、そういう人間に対しても、「××を知ってるんだからオタクだろう」とか「好きでもないのに××を知ってるとかありえないだろ」と擁護する人間が何故かいる。
 しかし、普通に義務教育を受けて高校や大学に進学した人間なら、オタクでもないのに××を知ってたり、好きでもないのに××を知ってる状態の経験があるはずだ。
 そう、受験勉強である。

 たまに歴史の話題を出すように一応歴史好きではある。
 しかし、試験の日本史では抜群に点が良かったとは言い難かった(世界史は取ってない)。年号なんて覚える気はほとんどなかったし、文化史なんてそんなに興味はない。大体、年号なんてマンガで言えば、ページ数だろう。スラムダンクの「バスケがしたいです」は誰もが認める名場面だが、それが何巻の何Pかまで答えろというのはカルトクイズの世界の話だろう。
 まぁ、自分のことはどうでもいい、偏差値で言えば、日本史はそれでも60ぐらいは取ってたと思うが、偏差値60以上をとる人間の何割が歴史が好きだろうか。日本史の試験は片倉景綱の名前を知らなくても偏差値70を狙えると思う。歴女の皮を被った腐女子は血を吐くかもしれないけど、それが現実だ。 
 話が横にそれたが、人間は必要に迫られれば、好きでもないことを一生懸命勉強するのである。
 一生懸命勉強すれば、ちょっとした歴史好きよりもテストでは簡単にいい点を叩きだすことができる。
 
 つまり、昨今、流行りの××芸人や××アイドルも勉強で身に付けた可能性が大いにあるということだ。もっとも、受験勉強のように本屋に参考書があふれてたり、試験という分かりやすく結果のでる物差しがないだけにもっと大変だったりするかもしれないが。
 そう、仕事のためと割り切れば、好きでもないものを必死で覚えるのもそこまで苦にならないはずである。

 オタクは作れる、でも、作ったところでそこに何が残るかは知らないが。
 まぁ、永遠に終わらない受験勉強をやらされるなんて地獄でしかないだろうけどね。
 いっそ、本当にオタクになってしまった方が楽なのかもしれない。

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